お母さん食堂の件に思うこと
どうも、
自称世界一のマザコンラジオネーム恋する鰻こと、
仮住 淀(かりすま よどむ)でございます。
最近ニュースで見た話題ですけど、
ファミリーマートのお母さん食堂というブランドの名前を変えるための署名活動をとある女子高生達を中心に始めたというものがありました。
ファミマ「お母さん食堂」の名前変えたいと女子高校生が署名活動、「料理するのは母親だけですか?」 | Business Insider Japan
これにはいくつかの主張があるようで、
その中にお母さん食堂という名前が料理=女性という偏見を助長してしまっているというものだ。
上記のURLの記事によると、
女子高生側の主張としては、
『お母さん=料理』というイメージを変え、世の中のお母さんの負担を減らしたい。性別によって役割が決まったり、何かを諦めたりしなければいけない社会は嫌なんです。
とある。
この事に関して思うことがあったので、
今回はそれについて書こうと思う。
「性別によって役割が決まったり、何かを諦めたりしなければならない社会を変えたい」という気持ちはとても立派で、その為に行動に移している事もすごいことだと思いました。
しかし、
今回の件で思ったのは、
お母さん=料理というイメージを変えたいと言った時、「料理」に対する偏見があるんじゃないかという事です。
そして、お母さん=料理のイメージを変えるのではなくて、
「料理」にもたれている一般的な価値観や意識の底上げを目指したほうがいいのかなということです。
偉そうな事は言えないですが、
僕もここ数年下手なりに自分で料理をする様になって、スーパーで食材を買う楽しみや、それを調理する楽しみ、美味しく出来た時の喜び、誰かに美味しく食べてもらった時の喜び、などを経験したからこそ、料理の素晴らしさや、また料理を作る労力を知ることができました。
だからこそ、料理に対する価値観が以前とは全く違うし、毎日美味しい料理を作ってくれた母に対して、感謝と尊敬の念を抱くことができています。
料理をあまり経験しないで一生を送ることは可能ですが、そういう方は多くの場合、実家の母や奥さんに料理を作ってもらう事になります。
その場合、料理にかける労力や過程などを知らないため、それが当たり前の事と捉えられてしまうのではないでしょうか。
そういう姿勢が料理を苦痛な労働という価値観におとしめ、料理をする多くの奥様方の地位を下げてしまっているのではないかと思います。
食べること=生きることです。
哺乳類はお母さんのお乳を飲んで成長します。
それが最初の食事であり、お乳をあげることができるのは女性だけです。
まさに神です。
母はそれだけ偉大な存在です。
僕らは、その感謝の念を忘れるべきではないと思います。
また人間が狩りをしていた時代を思い出すと、
身体能力の高い雄の方が獲物を取って、
それを雌が調理するということも多くあったはずです。
また家族で協力した農耕によって得た作物で、
毎日の食事を自給自足していた時代もあったはずです。
「料理」というものは、男女関係なしに皆んなで協力する共同作業だったはずです。
今でも本質は同じだけど現代には、
食材の調達の前に、
食事を調達するためのお金の調達が必要です。
多くの家庭では、お父さんがお金を調達して、
お母さんがそのお金で食材を買うという流れだと思います。
なので、ある意味お父さんの労働も料理の過程の一つだと言えるはずです。
その役割を分断して考えてしまっているから、
家庭内でも社会全体でも価値観の齟齬が発生しているのではないでしょうか。
早いうちから、
料理に対する価値観や共同作業を皆んなで知ることができたら、それがいい社会に繋がるんではないですかね。
それを教えることができるのはやっぱり、
「お母さん」だと僕は思いますね。