前回に引き続き、
ちいかわの世界観、
それを生み出したナガノ大先生について語ります。
③モモンガとデカツヨ
主人公ちいかわとその仲間達は、
小さくて可愛やつら、いわゆる"ちいかわ族"として描かれています。

その中でも、
イレギュラーな存在が"モモンガ"です。

この可愛らしいキャラクター、
本当の身体の持ち主は別人で、
可愛い身体を奪って乗っ取ってしまったというのが正体です。
身体を奪った者の本当の姿は"デカツヨ"と呼ばれる、ちいかわ族とは"正反対"のデカくて強い奴らという存在です。
モモンガはこのデカツヨに身体を奪われて、
本来の姿とお互い中身が入れ替わっています。

↑本当のモモンガの身体の宿主はデカツヨになってしまっています。
元の身体に戻りたい、元の身体を奪い返したいと思うものの、身体を奪ったモモンガは思うがままに"可愛い"を享受して身体を返そうとはしません。

可愛いと対極的な存在の"デカツヨ"ですが、
彼らを"ちいかわ"族を可愛い存在として認識しています。
モモンガの身体を奪ったデカツヨは、
「私も可愛くなりたい。可愛い存在に成りたい。
可愛くなってちやほやされる存在になりたい。」
という明確な願望を持ってモモンガの身体を奪っています。

↑モモンガの身体が奪われたシーン
ちいかわ族達は自分自身の事を"可愛い"と自認していないけど、この物語の中ではちいかわ族を可愛い存在として"観測する他者"の存在がいます。
それは、モモンガの身体を奪ったデカツヨだったり、"鎧さん"と呼ばれる謎の種族の存在だったりします。

↑シーサーにお師匠と呼ばれて嬉しそうな鎧さん
ちいかわ達は可愛いという特権を享受して生きてはいないが、
鎧さん達の様にちいかわ族を可愛いがってくれる存在がいるので、
ちいかわの世界でも可愛いという事はやはり生きる上で特権的な力を有しています。
醜い見た目に生まれたモモンガの正体のデカツヨの様な存在が、
可愛くなりたいという願望を抱くのもその様な世界観の背景があるからだと言えるでしょう。

ただこの"でかつよ"ですが、
こういう風になって暮らしたいという文とイラストと共に
"なんかでかくて強いやつ"
とナガノ先生が投稿したイラストが始まりです。(多分)

ナガノ先生は"なんか小さくて可愛いやつ"になりたいという願望と共に、
"なんかでかくて強いやつ"という可愛いと対極に位置する存在になりたいという願望を同時に持っているということです。
ここで一読者として、
この作品から気付かされる事は、
我々"男性は女性から見たら皆デカツヨ"なんだよなって事です。
ちいかわ達が自らの可愛さに無自覚な様に、
成人男性が持つ"肉体的力"は無自覚にも無意識にも、女性や子供から見たら命を脅かす怖い存在になりうるんですよね。
「なにか嫌なことがあったらバーンとねじふせて」
悪い大人の見本みたいな事ですが、男性が強い力を持つ現代で、女性や子供は日常茶飯事のように経験してることでしょう。
僕も子供時代を思い返せば、
自分より身体がデカくて強い大人達は理不尽だらけで、
力があればいつかぶっ◯してやりたいと思っていた気がします。
ただ、
ちいかわの世界ではちいかわ族が突然変異で"
でかつよ化"する事があります。
小さくて弱い存在だった者たちが、でかつよになって肉体的な強さを得るのです。

人は自らが強い力を得た場合に、
力で全てを"奪われる側"から、
一転して力で"奪う側"になり得ます。
そして、一度そうなってしまったら元の奪われる側に戻るのは難しいのではないでしょうか。
ナガノ先生は、
もし自分がその様に力を持つ存在になった場合をモモンガとデカツヨというキャラクターを通して描いてる様に見えます。
最強の肉体を得た本物のモモンガの心は、
優しい心とその強大な力との間で揺れ動いているように見えます。
④島二郎と鎧さん
人が強大な力を得た時、
人としての真価が問われるように思います。
どの様な生き方を選択するか、
どの様な人でいるか、
弱きを助ける人間になれるか、
本当の"強さ"とは何か?
ナガノ先生はその一つの答えとして、
今回の映画でも大活躍の"島二郎"や"オデ"というキャラクターを描いてるのではないかと思います。


彼らは初見、
デカくてマッチョでギョッとする見た目をしています。
小さくて可愛い奴らではないので、敵か味方かもわからないですが、
実際に彼らは"強くてとっても優しい奴ら"なんですよね。
見た目はおっさんだけど、強くて優しいというだけでカッコよくて、そして可愛く見えてくる不思議です。
ナガノ先生の魅力的なキャラクターの構築力は凄いです。
ちいかわの一男性ファンとして、
ちいかわ族になりたいと願うより、
ちいかわ達を助ける島二郎のような存在になりたいと思いますね。
ちいかわ達を助けてくれる存在として、
忘れてはいけないのが"鎧さん"達です。
僕の勝手な想像では、
鎧さん達はナガノ先生の仮の姿で、ちいかわのファンの読者達の仮の姿なのではないでしょうか。
そして、鎧さん達はちいかわという世界の"観測者"であり"観察者"であります。
「あまり深い意味はないのですが、カマキリのメスがオスを食べてしまう、みたいな生き物ならではの容赦のなさが好きなところがあるので、そういった生き物らしさを描きたい気持ちがあるのかも知れません。」
こう語ったナガノ先生は、
人間社会を俯瞰的に観察して、さらに自分という存在を含めた上で、人間社会に生きる人間としての、自分の感情すらも俯瞰的に観察して物語上で描いているように見えます。
"人間"という存在と地球上に暮らす違う種族の動物達が互いに気持ちを通わせる事ができる夢の様な世界が、ちいかわの世界に思います。
その中で、鎧さん達は"人間"的な立ち位置の存在に見えます。

ある鎧さんがちいかわ族と関わりすぎて、
上司?的な鎧さんから注意される描写があります。
なぜ仲良くすぎると良くないんだ?という謎の描写です笑
だけどカマキリの話から推測するに、
僕がこれを解釈するとしたら、
例えば、
カマキリのメスがオスのカマキリを食べる場面に遭遇したとして、オスのカマキリを助けたとします。
すると逆にカマキリのメスはお腹を空かせて最悪死んでしまいます。
カマキリのメスはオスを捕食して栄養にして卵をエネルギーにするという話しです。
ここで、オスのカマキリを助けたとして、
それは人間の「可哀想」という感情によってもたらされる無意味な介入でしかないという視点もあります。
そういう視点で鎧さんの上司は、
関わりすぎるなと注意したのかもしれません。
自分が正しいと思う行動でも、
違う視点や立場だと間違いであったり悪であったりするわけです。
ちいかわはそういう事も考えさせられる作品であり、今回の映画では特にそのような視点によって答えの変わる、善悪の曖昧性が濃く描かれている気がします。
答えはないし、そのような複雑さを抱えて生きていく苦しさ、けどそれを飲み込んで生きていくと決める覚悟、そのような事をずっと映画を見て考えている気がします。
最後になりますが、
総括すると、
入場者特典の第3弾欲しすぎ‼︎
























