インセプション

 

立て続けに更新。

最近見たインセプションが面白かったので、

忘れないうちに感想など。

 

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最近、

映画館現在公開中のテネットを見てきたんで、

同クリストファーノーラン監督のインセプションを今更ながら鑑賞しました。

 

やっぱこの監督天才だなぁ、

と言うしかないけどそうなんだよね笑

色んな考察されてるんだろうけど、

僕のは単なる感想みたいな感じでよろしく。

 

人の深層心理に入り込んで、

あるアイデアを盗んだり、

ある観念を植え付けるということを描いたこの作品。

 

夢という虚構の世界の中に、

ある種の現実を構築して、

この現実のような虚構の世界で現実みたいに自由自在に動き回ることができる。

(何言ってんだ?笑)

 

そんな夢の世界を現実のように、

映画のスクリーンに映して視聴者に理解できるように提示しているのがすごいと思った。

 

面白いのが、

夢の中の時間感覚と現実の時間感覚は違うということ。

夢の中では現実世界よりも時間が長く感じるのだ。

そして、その夢の世界は階層構造になっていて、夢のレベルが上がるほど、人の深層心理の中に深く入り込み、

時間の感覚が更に長くなる。

 

その深層心理に限界は無く、

行き着く先は「虚無」だという。

 

僕の解釈では、

一瞬の時間の中に「永遠」に存在するという感じなのかなと思った。

これは一瞬を永遠のように感じると言ったほうがいいのかな。

 

よく、

死ぬときは全てがスローモーションで、

走馬灯が見えるとか言うよね。

それは実際に死にかけた人が語ったことで、

生き残ったおかげで一瞬を永遠に感じた感覚を語ったことかもしれない。

 

死にかけて実際に死んだ人はどうなんだろうか。

人は死ぬとき、

感覚としてはその死ぬ直前で、

時が止まるという話がある。

 

だから、

家族に囲まれて死んだ人は、家族に囲まれた死ぬ直前の一瞬に永遠に存在する。(感覚的に)

 

首吊りをして死んだ人は、首を釣って死ぬ一瞬の中に永遠に存在する。(感覚的に)

 

という話がある。

 

 

インセプションのラストも、

そのような一瞬という牢獄に囚われて、

永遠に抜け出せなくなってしまったのではないかと想像させるようなものだった。

 

 

ブログで前に書いたかもしれないけど、

アーティストの横尾忠則さんが対談で夢の中の感覚について語った話がある。

 

 

彼は夢の中で、

雪の降る中で一本の木を眺めていたそうだ。

木には雪がどんどん降り積もり、

最終的は、

ドサッ

という音を立てて木から雪が落ちたそうだ。

 

ちょうどその瞬間、

現実の世界では、

高く積み重ねた部屋の本が、

ドサッ

と崩れたそうだ。

 

 

これはどういう事かというと、

本の山が崩れるドサッという音を聞いたことで、

その音が降り積った雪が木から落ちる映像、

そしてそれを待っている彼の時間感覚を連想して作り出したのだ。

 

 

このように、

現在の一瞬と僕らの頭の中の時間には大きなずれがあるのだ。

 

 

僕は毎晩寝る時、

今日の夢では永遠に感じるほどに眠れますようにと祈るけど、

朝起きたら寝ていた時間なんて一瞬で、

夢を思い出す時間もないのである。f:id:yodomu69:20201029230045j:image