GO
ども‼︎
最近在宅勤務が増えて、
家で仕事してます‼︎
とはいっても大したことやってないですが。笑
パソコンに向かいながら、
何か音が欲しいと思い、
窪塚洋介さん主演の「GO」を流してました。
この映画はもう何回か見てるんですが、
何回見てもいいですね〜。
何より窪塚洋介さんかっこええ〜
俺はこの時の窪塚さんに憧れて、
一時期ツイストパーマにしてました。笑
この映画の冒頭で、
シェイクスピアのロミオとジュリエットからの引用が出てきます。
『名前ってなに?
バラと呼んでいる花を
別の名前にしても美しい香りはそのまま』
ああ、
シェイクスピア先生。
流石あなたは天才です。
(ちなみにシェイクスピアは複数人説や経験哲学の祖ベーコンだとい説があったり謎多き人物)
『名前』についてはここ数年、
もっぱら僕が興味を持ち続けているテーマです。
僕は昔から名前の意味を聞かれたとき、
いつも答えに困っていました。
親に聞いてもはっきりとは言わないので、
僕の名前の意味って何なんだろ?
って子供ながらに思っていました。
大学のある時、
僕は「名」という漢字をネットで検索してみました。
すると、
名については古代から中国でもさかんに議論されていて、
公孫竜っていう偉い学者さんが示した「正名論」っていう考えを知って僕は「名前」って面白いなと色々と考えるようになりました。
ちょうどその頃、
大学で軽い興味本位で哲学の授業を取っていました。
その時知った、
ウィトゲンシュタインという哲学者にも衝撃を受けました。
去年その家まで行っちゃいました。笑
まあそれらのことを書いたら話がまた長くなってしまうので、
今回は書きません。
さて冒頭で出てきた、
シェイクスピアのロミオとジュリエットの一節ですが、
このGOという映画では人種というテーマでバラの名と主人公が関わってきます。
杉原はある日、日本人の女の子と恋に落ちる。
しかし、在日というレッテルが彼と彼女との関係に重くのしかかる。
同じ日本に生まれたはずなのに、
そのルーツにより1人の人間を人種というカテゴリーで判断してしまう。
人種という問題は個人のアイデンティティにある意味無くてはならない存在かもしれませんが、
それによって苦しんでいる人がいるのも確かです。
この映画で杉原は、
人類の祖先は皆同じくアフリカ大陸から始まり、
そこから派生したとされるアフリカ単一起源説について語ります。
そのそれぞれが派生する中で、
地球上のあらゆる環境に適応するために、
人間はそれぞれの進化を遂げた。
「根源は同じなのに何故差別するのか。」
これは非常に深い問題です。
映画では、
主人公が自らが在日であることを恋人に告白するシーンがあります。
それを知った彼女は、
主人公を一時拒絶してしまいます。
人種でカテゴライズされたとしても、
その人はその人である。
そう考えるべきであると僕も思います。
人種で人を差別することは馬鹿げていると思います。
僕はイタリアとフランスで詐欺られましたが、
イタリア人とフランス人を差別しようとは思いません。笑
でもよーく考えてみたら、
差別があったからこそ、
人間はここまで地球上に広がったのだと思います。
同じ日本人でも決して友達になりたくない人とか、相容れない人なんてざらにいますからね。
人間がアフリカにしか生息してなかった時代、
きっとその環境に耐えられなく飛び出した人達が僕たちの祖先なのかもしれません。
それが多様性になって、
今の世界を形成してるのではないでしょうか。
現代では非難されている差別と、
尊重されている多様性が同じ根っこを持っているとしたらとても複雑な問題です。
映画の最後で主人公の杉原はこう言います、
「俺は何人だ?何者だよ?
お前ら俺が怖いんだろ。
名前つけなくちゃ不安でしょうがねえんだろ。
じゃあ俺はライオンだ。
ライオンは自分のことライオンだなんて思ってねえからな。
お前らが勝手につけた名前じゃねえか。
名前なんて何だって良いんだよ。
俺は俺なんだよ。
いや俺は俺であることすら捨ててやる。」
響きます。
窪塚洋介さんは、
この映画とは別で
「狂気の桜」
という映画で過激な国粋主義者を演じています。
多分時期も同じくらいだと思いますが、
排他的な国粋主義者とそれを乗り越えようとする青年という両極端な役を演じ分けた彼は本当にすごいと思います。
昔見た窪塚洋介さんのドキュメンタリーで、
窪塚さんはその役に入り込むために、
その役の思想まで深くのめり込んでいました。
物語によって様々な人物を演じ分けなければいけない役者というお仕事、
楽じゃないですね。
昔は自分の名前の意味を答えられなかった僕ですが、
今では、
「僕と同じ時間を共有する人達の記憶」こそが、
僕の名前の意味だと思うようにしています。
それでは皆さんおやすみなさい。