うぃーす、日曜日。
楽しい時間は何故こんなにも早いのか…
昨日の事から。
土曜日は髪を切るために行きつけの理髪店へ。
その前に、
最近行けてなかった行きつけの珈琲屋さんへ。
コーヒーを飲みながらマスターと話すあの時間は、心と身体が洗われるような感覚です。
身体の中の淀みが無くなって、
心と身体が正常な流れを取り戻して行くような感覚。
風呂は命の洗濯と言いますが、
あの空間は僕にとってのもう一つの命の洗濯です。
その後の、理容室で髪を切るのも最高の楽しみです。
理容師さんと話しながら髪を切ってもらうあの空間もまた別の命の洗濯です。
で、
夜はまた仲のいい友達と飲んで、
笑って歌って心も身体もリフレッシュできました(また飲みすぎて逆に疲労溜まったけど笑)
美空ひばりさんが、
と歌っていますが、人間一人ひとりもまさに川の流れのようなものなのかなって思います。
慌ただしい日常に追われて、将来的な不安を抱えてる現代人の心は気づかないうちに淀んでいってしまう。
だから、その淀みを正常な流れに戻すために、
自分でケアしてあげないといけないと思います。
今はコロナのせいで、
色々なことが自粛モードになっていますが、
その中には誰かの心を正常に保つために必要なものがあると思います。
それを失ってしまった人はどうなってしまうのだろうか。
俳優の三浦春馬さんが亡くなったというニュースはとても衝撃的でした。
なぜあんなイケメンが?
と思いましたが、
その疑問はすこし短絡的すぎると感じました。
イケメンだから悩みが無いっていう思考は物凄く、思いやりのない考え方だと自ら反省しました。
そもそも「イケメン」は世の中の全ての問題を解決する万能薬ではない。
人はそれぞれ千差万別の悩みを抱えている。
誰もが羨むような華やかな世界に立つものにしかわからない孤独や苦しみがあったのかもしれない。
どんな理由があったかなんて誰にもわからないし、わかる必要もないのかもしれないです。
誰もが先の見えない不安や孤独を感じている。
未来。
未だ来ない世界。
そこにあるのは希望か絶望か。
僕は映画が好きでよく見るんですけど、
一番好きな映画が黒沢清監督の
「アカルイミライ」
って映画です。
タイトルとは対照的に内容は少し暗めです。
僕がこの映画を始めて見たのは大学に入ったばかりの18歳の頃です。
僕は初っ端からあまり学校に行かなくなって、深夜に近所のネカフェによく行っていました。
ネカフェは映画も色々見れるので、その時にこのアカルイミライを見ました。
実はこの映画、僕の大好きなバンドThe BACK HORNの「未来」という曲が主題歌です。
未来の未来のミュージックビデオでもこの映画のシーンが使われているので、映画の存在は何となく知っていました。
それで、
深夜のネカフェでこのアカルイミライを観賞したんですけど、
この映画を見て僕は泣いてしまったんですよね。
心の中の閉塞感に風穴が開いて、そこから涙が溢れてきたような感じでした。
そこから僕は好きに生きようと思って、
好きに生きるということがどういう事かを色々考えるようになりました。
答えは未だ模索中ですが、楽しくやろうと思っています。
この映画は「クラゲ」が象徴的な存在として出てきます。
一匹の毒を持ったクラゲが大量に繁殖して、
海へ渡っていくシーンがあります。
そして、退屈して町を彷徨う若者達のカットで映画は終わります。
そこへthe back hornの未来が流れます。
この映像と音楽に涙出ました。
でもあの時泣いたおかげで、あの時の僕の胸につっかえていたものが取れました。
その時に僕は涙を流すことの大事さを痛感しました。
元々昔は泣き虫でよく人前で泣いたりしてたんですけど、
泣くという行為は世間的にはあまり賞賛されません。
そんな中で僕は人前で泣くこともなくなりましたが、
今は逆に人前で大号泣できるような人間になりたいと思っています。
人前で笑うことが許されるように、
人前でもっと涙を流すことが許されてもいいと思います。
涙と共に心の淀みをスッキリさせて、
心に綺麗な流れをつくれるようになれば救われる人も増えるのではないでしょうか。
この映画の黒沢清監督へのインタビューがありますが、その名前は「曖昧な未来」です。
未来はいつでも未知で曖昧です。
未来という言葉の中に「曖昧」という意味が含まれているのかもしれません。
だからこそ未来の事を考えると不安にもなるし、言いようのない恐怖を感じることもあるかもしれません。
大海に向かうウミガメの赤ちゃんは、
全てが無事に海へ行けるわけではありません。
僕も荒波に立ち向かう勇気と誰かを助ける優しさを胸に明日も生きていきたいです。