M-1グランプリ2021感想

 

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おいっす、久しぶり。

 

 

今日は人生で27回目の誕生日でした。

偉大なロックスターは27歳で死ぬ人が多いと言われる27クラブの仲間入りですが、僕はロッカーじゃないのでもう少し生きると思います。笑

 

今日は朝起きて、

マトリックスリローデッドとレボリューションズ見てました。めっちゃ面白いし感動しました。

ドラゴンボール感めっちゃありましたが、それも含めて面白かった。

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そして、飯食って寝て、風呂入って、夕方からM-1グランプリ2021を見てました。

めっちゃ面白かったです。

リアルタイムでM-1見るのめっちゃ久しぶりだったんですが最高でしたね。僕はお笑い評論家でもめっちゃ詳しいわけでもないですが、

全組がそれぞれの個性を持っていて、流石日本で一番を決める大会だなと笑いと感心で一杯でした。

 

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覚えているうちに、

ファイナルに進んだ3組の感想を書こうと思います。

 

ファイナルに進んだのは、

 

インディアンズ

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錦鯉

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オズワルド

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普段から幅広くお笑いを見ているわけではないので、この3組の漫才を見るのも初めてでした。

 

 

 

これが、ファイナルのインディアンズと錦鯉まで見た時の感想でしたね。

そして、最後のオズワルドの漫才を見た時思ったのは、

 

という感想でしたね。笑

最終的に2021年のチャンピオンに選ばれたのは錦鯉でした。

 

 

僕は最終の3組の漫才を見終わった時、このように感じました。

 

まず、インディアンズの感想。

非常にテンポの早い漫才でボケの手数が多い印象でした。テンポが早くボケの手数が多いと、お客さんや見ている人の理解が追いつかない場合があります。

お笑いは耳から入った言葉の情報と視覚から入った情報を、見ている側は脳内で処理して、それを理解した時に笑いが生まれます。

その情報の処理には大なり小なり時間がかかります。

ですので、漫才の中にボケの手数が多すぎると、見ている側が笑いを処理できないまま置いてけぼりになる可能性があります。

しかしインディアンのネタはテンポが早くボケの数が多いのに、見ている側が置いてけぼりになる事がない。これは、ボケ一つ一つの「分かりやすさ」のおかげでしょう。

審査員の誰かが、インディアンズの漫才は広い年代に受けそうと言っていた気がします。これは、ボケの一つ一つが万人に分かりやすく伝わり、万人が知っているような情報を元にしたボケのため、一つ一つのボケが脳内で瞬間的に処理できるようなものだからでしょう。

映画で例えるなら僕はマーベルだと例えました。僕はマーベルの映画を多く見ているわけではないですが、やはりThe 王道、大衆人気、分かりやすさという共通点考えたら、ファイナルに進んだ3組の中でインディアンズの漫才はマーベルだと思いました。

 

 

そして、優勝した錦鯉。

錦鯉は見た目と、経歴がめちゃくちゃ強いと思いました。

苦労しているおじさん達、苦労している人間の逆転劇、コミカルな見た目、

決勝3組で1番ストーリー性も華もあったのかなとも思います。純粋に漫才の腕を競う大会で、漫才以外の要素は関係ないのではないかと思うのですが、どうしてもそういう情報のバイアスは漫才自体にも関わる要素になる事は避けられない事だと思います。

そして、インディアンズの漫才と比べると、錦鯉の漫才は万人受けするものではないかと思います。これは否定的な意味ではなくて、笑わせるターゲットが適切に狭められているという事です。

例えばインディアンズのネタが小学生からお年寄りの年代まで伝わるものだとしたら、

錦鯉のネタは成人から中年の方々に伝わるものででしょうか。

これはどちらが優れているという問題ではないのですが、

M-1グランプリ」というステージ

を考えた時、優勝するためには誰を笑わせればいいのかという事です。

笑わさなければいけないのは、第一に「お客さん」、そして「審査員」です。

会場にどんなお客さんが来ているかはわからないのですが、そのお客さんを多く笑わせた漫才が爆笑を生みます。

 

インディアンさんのお笑いはシンプルで、

子供〜年配の方まで笑わせることができるものだった。

対して錦鯉のお笑いは、

成人から中年と笑いが受ける層は狭まったが、

その笑い刺さる層には深く刺さるものだった。

ということではないでしょうか。

M-1という場を考えた時に、メインの客層と審査員のツボに刺さる笑いをしたのが錦鯉だと僕は思いました。

これはコミカルでどこか古典的なジャッキーチェンの映画的な笑いの要素であり、苦労してきた中年男性の逆転物語という日本人受けするストーリーを併せ持った錦鯉の強さであったと思います。

 

 

そして最後のオズワルドのネタですが、

これは先に述べた2組より更に笑いのターゲット層を狭めたものだと感じました。笑

これはいわゆる、分かる人には分かる、オタク、考察好き、といった狭すぎる層に受けるお笑いだったと思います。めちゃくちゃ高度なことをやりすぎて、伝わる人にしか伝わらないようなネタで、多くの人は、

「???」

という疑問を抱き、置いてけぼりになってしまったのではないでしょうか。笑

オズワルドは一位通過でファイナルに上がったため、あまりにも万人には高度すぎるネタを選んでしまったのがもたいないなと思いました。

正直僕はめっちゃ好きだったんですが、こういう難解さはM-1というステージで優勝するには攻めすぎたなと思いました。まさにクリストファーノーランの映画みたいに、後から考えて納得する系ですね。

 

M-1というステージでは笑いの瞬間最大風速を起こしたコンビが勝ち残るのだと、今大会を見て改めて思いましたね。

全てのお笑い芸人さんにリスペクトです。

わらしべ長者のアフォリズム

 

 

おいっす、サンデー。

気温も下がってきており今日は涼しくなってます。寒い季節の到来にはちょっとテンションが上がりますね。笑

コーヒーを淹れて、音楽を聴いたり本を読んだりいい気分ですね。まだ午前10時にもならないですが、いい感じの日曜日の走り出しです。

↓久しぶりにイラスト描いてみた。

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今年の頭に描いてた漫画も全然描かなくなってしまったんで、描きたいとは思うんですがなかなか忙しくて…(言い訳)

年末も繁忙期で忙しくなりそうで怖いですね。(既に若干忙しい)

 

今年は1月から新しい仕事に就き、未経験からのスタートで毎日必死で仕事に食らいついてましたね。コロナの感染拡大に伴いリモート勤務になり精神的にキツい時もありましたが、そこを乗り越えてちょっとずつですが好調の軌道に乗ってきた気がしてます。

 

その生活の中で先日ふと気づいたことがあるので、今回はその事について書きたいと思います。タイトルにもある通り「わらしべ長者」についてです。

 

わらしべ長者とは、

貧乏な男が一本の藁を拾い、それをより価値のあるものと交換していき、最終的には財を手にして金持ちになるという昔話です。

 

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僕は貯金もほとんど無いし金持ちになりたいとう願望もあまり無いような男ですが、人生においてわらしべ長者的な感覚を覚えました。

 

僕は食べるのが好きだったり、面白い雑貨屋さんを見つけるのが好きです。飲み歩いて美味しいお店やお酒を発見したり、散策してオシャレな店を見つけたりしてます。ネットサーフィンして面白そうなイベントや商品を見つけたりするということも好きです。

そういう事をしているうちに蓄積された情報や経験は自分のものだけにするのもいいですが、それは誰かに共有した時にまた別の形で自分に返ってくるという事があります。

 

例えば僕が誰かに贈り物をします。贈り物をされた方は喜び、僕に贈り物を返します。それを僕はもらって喜びますが、この時その贈り物は贈り主の方も自分が貰って嬉しいものであると思います。贈り主の方が女性であった場合、僕は一般に女性が貰って嬉しい贈り物を知る事ができます。

この経験を元に、次に女性に贈り物をする機会があった時に女性が喜ぶ贈り物の選択肢が増えます。こうして選択肢を増やし、自分に蓄積していくことは凄く大事なことだと思います。

 

 

わかりやすいように贈り物に例えたのですが、

この事は人生の経験において大事だと思います。今まで経験した過去の事が、今リアルタイムで経験している事に活かさせる感覚を味わったことはありますか?

自転車に乗れなかったけど乗れるようになった経験、人前で笑いを取ろうとして恥をかいた経験、カラオケでバイトした経験、バイトをばっくれた経験、などなど今まで経験してきた様々な事が僕たちには蓄積されていることでしょう。

 

それらの過去の経験は、これから経験する事になる新たな経験に活かされることになる。その新しい経験はいずれ過去の経験になり、また更なる新しい経験に生まれ変わっていく。その繰り返しの中で、自分が大きくなっていく感じがしています。

 

そんな考えに至ってふと、

「ああ、わらしべ長者ってそういう事が言いたかったのかな」

と気づきました。

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昔話は子供の頃は気づかなかったですが、人生の教訓になる事が沢山あります。話せば長くなり難しいような事を、簡略化して抽象化して出来上がったのが昔話だったりするのかもしれないですね。

古い諺なんかにも、昔は理解出来なかったけど今なら分かるということもあります。

きっと、自分の中に経験が貯まることで開く扉があるのでしょうね。

 

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この景色の中を

 

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皆さん、こんばんは。

今月はブログ書いてなかったので、久しぶりに更新します。

 

さてさて、暑かった夏も終わって気づけば10月も半ばに差しかかってます。

緊急事態宣言が5月に発令されてからリモートワークで家に籠る生活を送っていました。その生活も今週で終わり、今週からは5ヶ月ぶりの出社です。久しぶりに会う仲間や初対面の仲間と共有できる時間は僕が思ってたより素晴らしいですね。

 

テンション上がってついつい喋りすぎたりして、後になって無駄な事喋りすぎたなと後悔することもあります。笑

今の会社に入ったばかりの時は、適当に真面目なふりして変な奴だと思われないように過ごそうと思っていました。ですがどう隠そうとも、僕の奥底にある素の部分が普通に振舞っているつもりでも、知らず知らずに滲み出てしまうようです。割と早い段階で変な奴ということはバレていたようです。

なので今は方針を変えて、不真面目なふりをする事にしています。真面目を通常にしていたら、時たま見せる不真面目な部分が目立ってしまう。ならば、不真面目を通常にすることによって、時たま見せる真面目さが際立つんじゃないかなと思った次第です。この戦略は結構上手くいってる感じがして、最近は職場での人間関係がすごく円滑な気がします。

戦略といっても、実際は僕自身のありのままに過ごしているだけですけども。笑

結局は自分を着飾らずありのままの自然体が1番という事ですね。

 

 

僕は誰にどう思われてもいいという考えで動こうと最近思っています。誰かに悪い様に思われたくないから、自分の行動が抑制されてしまうというのは皆さんあると思います。そのせいで自分の中にある正しい道を進むことができないのなら、僕は誰にどう思われていいから、僕が信じた僕の正しい道を全力で行くだけだと考える様にしています。

その考えの下で行動すると、上手く行くこともありますし、もちろん上手く行かず後で少し後悔することもあります。しかし、その後悔が自分を見つめ直す機会にもなるし、新たな発見に僕を導くこともあります。

 

止まない思考の中に身を置く生活は大変でもありますが、とても楽しいことです。

社会の中に身を置くことで自分を知り、日々自分が磨かれていく感じがしてます。

 

この景色の中をずっと2人で歩こうぜ。

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親ガチャ/言葉のあそび

 

どうやら「親ガチャ」って言葉が注目を集めてるっぽい。

確かに、Twitterとかで流れてくるネット記事とかのタイトルに親ガチャ論争に関係するであるものを最近見かける。

 

どうやら、

子供は親を選べない、親のステータスによって子供の人生が左右される、自分の親がどんな人かは運要素でありそこには「当たり」「ハズレ」がある、

という事を表しているっぽい。

 

この「親ガチャ」って言葉自体は昔からネットスラングとして使われているのを見かけた気がする。それを最近になって若者が使用しているのを、親世代が批判しているという流れなのだろうか。元々ネットに存在していた言葉を若者が使用しただけであって、作り出したわけではない。それを馬鹿真面目に批判されているのであれば、ちょっと可哀想だと思う。

親は選べないというという事を単純に言い表すのにもわかりやすい比喩であるとも思う。

 

子供世代がどうのような感覚でこの言葉を使ってるかについて、僕の思っていた事を表している事が書かれた記事があったので引用したい。

News Up “親ガチャ” 話題のことばをぶつけてみたら | NHKニュース

 

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子供達はコミュニケーションのツールとして親ガチャという言葉を使っている。親世代はそれを自分たちへの非難だと捉える。子供目線と親目線からの親ガチャという言葉への認識にズレがあるというのは知っておくべきだろう。言葉の向かう先は「親」ではなく、同じ「子供同士」に向かっているコミュニケーションツールの1つなのだろう。

 

 

という、親ガチャなんて単なる言葉遊びでしょって踏まえた上で僕が思ったこと、考察した事を書いてみたい。

僕が子供の頃から駄菓子屋の前で回していたガチャガチャは確かに運要素しかないものである。

子供のなけなしの小遣い100円をかけて、100円以上の価値のある物を手に入れるか、まったくいらないガラクタが出るかという「賭け事」だ。

 

実際、子供はその運要素を理解してガチャガチャという勝負に挑む。運要素を理解した上で100円を入れてガチャガチャを回すのだ。

 

「親ガチャ」という言葉に対して思ったのは、

子供がガチャガチャを回してガチャガチャマシンのカプセルの中に入っている親を選ぶのであれば、なんだか順番がおかしい。

 

子供が親ガチャという言葉を使うのは人生に関する運要素を理解した後だと思う。

どちらかというと、運要素を理解して子供をひくのは親の方なのである。子供に対して運要素という言葉を使うのはちょっとひどいかもしれないが、どのような子供が生まれるかは生まれないと分からないという事だ。

 

子供が親を選べないのと同様に、親も子供を選べない。選べないという点において、それはガチャガチャと共通する。

 

しかしガチャガチャという賭け事に関して、子供の頃の記憶を思い出して見てほしい。ガチャガチャマシンには、中にはどのような商品が入っているか、出てくる可能性があるかという広告による提示があったはずだ。横から覗けば、透明なガラス越しに欲しい商品が見えたりもしたはずだ。

そういったガチャガチャを回す前の情報というのを吟味して、僕たちはなけなしの資産100円を賭ける価値があるかどうかを判断していたはずだ。

 

ガチャガチャを回すという表現に関しては、親が家庭を持ち、どのような子供が欲しいか選択していく過程を表すのが近いのかなと思った。この人と結婚すれば、どのような家庭を築ける、どんな子供が育つか、という予想は可能性も含めて想像ができる。

 

子供がガチャガチャを回して親を選ぶというのであれば、それは時間の過程が現在から過去に向かって逆行している。

ガチャガチャを回すという行為は現在から未来に向けての行為なんじゃないかな。

なので、子供達(僕も含めて)が回すのは親ではなく、自らのこれからの選択であったり、属する環境であったりだと思う。(それすら子供にさせない毒親がいるのも現代社会だと思うが。)

 

ガチャガチャを回した後出てくるものは選べなくても、どのガチャガチャを回せるかは選べるのだ。結果は変えられないけど、未来は選択によって変えられると言いたい。

 

今はソシャゲとかでスマホでひくガチャガチャとかもあったりして、親世代と子供世代ではガチャガチャという遊びに対する認識も違うと思うけど、そのへんを考察してみるのは大事だと思いますね。

 

そして、

みんな言葉に「あそび」を持つべきだ‼︎

 

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眠れるようにすること

今週のお題「眠れないときにすること」

 

今週のお題は眠れないときにすることです。

僕は今年の1月から今の仕事についてからというもの、何故か不安で眠れないという日が多かったです。

寝なきゃ寝なきゃと思っていても眠れない時はなかなか眠れません。そんな時は諦めて映画見たり本読んだりするのですが、そうすると今度は朝になって「起きれない」という事態になります。

そうすると寝不足で仕事にならず、能率も下がり、眠いけど仕事が片付くまで眠れないという事が起きてしまいます。

 

経験上月の半ば、満月が近づいてくるあたりは眠れない時が多い気がします。それは身体のサイクルと関係しているのかもしれません。

ですが僕がなかなか眠れないのには明確な原因がありました。

それは「食生活」です。

その事に気付かされたのはある本と出会ってからです。その事についてはブログでも書いたので、下記の記事を読んでみてください。

僕の脳は栄養不足でした。 - yodomu69のブログ

 

夏に突入したあたりから常に不安がつきまとい、夜は考え事で寝れず、日中ずっと怠くて仕事にならないという精神的にもきつい日々を過ごしていました。

僕は初めその原因は、

「アイスコーヒーの飲み過ぎによるカフェイン中毒

のせいではないかと考えました。仕事のため目を覚ます為に僕はタリーズの缶のアイスコーヒーを毎日がぶ飲みしていました。暑い夏に冷たいコーヒーはとても美味しく感じ何本もグビグビ飲んでました。今思えばその時は味なんて考えないで、冷たいコーヒーを飲んでいるという行為自体に依存していたのかもしれません。

 

カフェイン中毒について調べると不眠や不安などの症状について出てきます。カフェイン中毒になると、カフェインを摂取しないと怠さや頭痛の症状も出てきます。まさしく僕に出ていた症状でした。

僕はコーヒーを飲むことをやめました。やめてすぐの頃は、頭痛や怠さなどの禁断症状が強くなりましたが、2週間も経てば大分良くなりました。

 

しかしコーヒーを飲まなくなった後も仕事でのストレスや不安は続き、またなかなか眠れないという時が続きました。

 

その時最強の食事法という本に出会い、

僕は夜にはしっかり眠れるようになり、朝もしっかり起きれるようになりました。良質な食事は良質な睡眠を作り上げ、良質な睡眠は良質な人生を作ってくれるんだと気付かされました。(ここ2ヶ月くらいの話)

 

その最強の食事法の根幹を成すのが、

朝に飲む「コーヒー」というのが嬉しいことです。大好きなコーヒーで1日を始められる幸せは何事にも変えられません。

ガブ飲みしていた缶のアイスコーヒーではなく、

ちゃんと良質な豆を選ぶという事は大事です。

今では前にも増してコーヒーが好きになっているし、相変わらずキツい仕事でもなんとか踏ん張れています。

 

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