親ガチャ/言葉のあそび

 

どうやら「親ガチャ」って言葉が注目を集めてるっぽい。

確かに、Twitterとかで流れてくるネット記事とかのタイトルに親ガチャ論争に関係するであるものを最近見かける。

 

どうやら、

子供は親を選べない、親のステータスによって子供の人生が左右される、自分の親がどんな人かは運要素でありそこには「当たり」「ハズレ」がある、

という事を表しているっぽい。

 

この「親ガチャ」って言葉自体は昔からネットスラングとして使われているのを見かけた気がする。それを最近になって若者が使用しているのを、親世代が批判しているという流れなのだろうか。元々ネットに存在していた言葉を若者が使用しただけであって、作り出したわけではない。それを馬鹿真面目に批判されているのであれば、ちょっと可哀想だと思う。

親は選べないというという事を単純に言い表すのにもわかりやすい比喩であるとも思う。

 

子供世代がどうのような感覚でこの言葉を使ってるかについて、僕の思っていた事を表している事が書かれた記事があったので引用したい。

News Up “親ガチャ” 話題のことばをぶつけてみたら | NHKニュース

 

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子供達はコミュニケーションのツールとして親ガチャという言葉を使っている。親世代はそれを自分たちへの非難だと捉える。子供目線と親目線からの親ガチャという言葉への認識にズレがあるというのは知っておくべきだろう。言葉の向かう先は「親」ではなく、同じ「子供同士」に向かっているコミュニケーションツールの1つなのだろう。

 

 

という、親ガチャなんて単なる言葉遊びでしょって踏まえた上で僕が思ったこと、考察した事を書いてみたい。

僕が子供の頃から駄菓子屋の前で回していたガチャガチャは確かに運要素しかないものである。

子供のなけなしの小遣い100円をかけて、100円以上の価値のある物を手に入れるか、まったくいらないガラクタが出るかという「賭け事」だ。

 

実際、子供はその運要素を理解してガチャガチャという勝負に挑む。運要素を理解した上で100円を入れてガチャガチャを回すのだ。

 

「親ガチャ」という言葉に対して思ったのは、

子供がガチャガチャを回してガチャガチャマシンのカプセルの中に入っている親を選ぶのであれば、なんだか順番がおかしい。

 

子供が親ガチャという言葉を使うのは人生に関する運要素を理解した後だと思う。

どちらかというと、運要素を理解して子供をひくのは親の方なのである。子供に対して運要素という言葉を使うのはちょっとひどいかもしれないが、どのような子供が生まれるかは生まれないと分からないという事だ。

 

子供が親を選べないのと同様に、親も子供を選べない。選べないという点において、それはガチャガチャと共通する。

 

しかしガチャガチャという賭け事に関して、子供の頃の記憶を思い出して見てほしい。ガチャガチャマシンには、中にはどのような商品が入っているか、出てくる可能性があるかという広告による提示があったはずだ。横から覗けば、透明なガラス越しに欲しい商品が見えたりもしたはずだ。

そういったガチャガチャを回す前の情報というのを吟味して、僕たちはなけなしの資産100円を賭ける価値があるかどうかを判断していたはずだ。

 

ガチャガチャを回すという表現に関しては、親が家庭を持ち、どのような子供が欲しいか選択していく過程を表すのが近いのかなと思った。この人と結婚すれば、どのような家庭を築ける、どんな子供が育つか、という予想は可能性も含めて想像ができる。

 

子供がガチャガチャを回して親を選ぶというのであれば、それは時間の過程が現在から過去に向かって逆行している。

ガチャガチャを回すという行為は現在から未来に向けての行為なんじゃないかな。

なので、子供達(僕も含めて)が回すのは親ではなく、自らのこれからの選択であったり、属する環境であったりだと思う。(それすら子供にさせない毒親がいるのも現代社会だと思うが。)

 

ガチャガチャを回した後出てくるものは選べなくても、どのガチャガチャを回せるかは選べるのだ。結果は変えられないけど、未来は選択によって変えられると言いたい。

 

今はソシャゲとかでスマホでひくガチャガチャとかもあったりして、親世代と子供世代ではガチャガチャという遊びに対する認識も違うと思うけど、そのへんを考察してみるのは大事だと思いますね。

 

そして、

みんな言葉に「あそび」を持つべきだ‼︎

 

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