黒の船唄

※これは前回の投稿の前に書いた記事です。

 

おいっす‼︎

また前回の投稿から時間が開いてしまった。

書く内容自体は決まってたんだけど、めんどくさくて…笑

 

前々回の記事で、

銀座のある店のお上さんに人生レクチャーしてもらったって話は書いたんだけど、

その時に出てきた男と女の謎とその解釈について。

 

僕はその店が気に入って2日連続で行ったんだけど、2日目も日本酒飲みまくって結構いい感じだった。

そこで、お上さんの恋愛話を聞いた。

お上さんは50年以上前、ある男に騙されて東京に来たそうだ。

それから現在まで東京で店を続けている。

どんな経緯があったかは聞いていないが、

お上さんは自分を騙した男を恨んでいる様ではなかった。

その時、お上さんが言ったのが

「男と女は騙し騙され」

僕はあまり納得がいかなかった。

 

僕は女に騙される男も、

男に騙される女も馬鹿だと思っていた。

騙されて不幸になる人なんて腐るほどいる。

 

出張から帰っても、

その言葉の本意は何なんだろうなと考えていた。

その事を大学からの友達に話したら、

「恋愛っていうのはまず最初に自分自身を騙している」

という回答があった。

自分より恋愛経験が豊富な、フランス映画のような雰囲気を纏った彼が言うのだからなるほどと思ったが、

その解答にも納得出来るような、出来ないような感じが自分の中にあった。

 

僕は真面目な男なので、

恋愛においては嘘偽りない真っ直ぐな姿勢や言動で望むべきだと思っていた。

そして、ありのままの自分を受け入れてくれる人がいると信じている。

 

が、

よく考えたらそれはある意味正しいが、

ある意味間違っていることだという結論に至った。

これは、スポーツやゲームで説明がつく。

 

野球というスポーツは便利なもので、

色々なものの例えに活用できる。

 

例えば、莫大な財力もモデル並みの容姿も持たない僕が恋愛において何の工夫もない姿勢で臨んだとして、

それはヘロヘロのストレートしか投げられないピッチャーだ。

爆速160km投げられるわけでもなく、

球種もない。

そんなピッチャーには何の魅力もない。

純粋な勝負で、簡単に打てる球しか投げないピッチャーに打者も見てる人もワクワクしないはずだ。

豪速球が無くても、コントロールや緩急、変化球で打者に様々な可能性を想像させる事ができる。

 

この勝負の世界で、

騙すという行為は全く悪いことではない、

いや、これは「騙す」というより「様々な可能性を連想させる行為」と言うべきかもしれない。

 

先程の野球の例えで、

ピッチャーの武器として球速、コントロール、緩急、変化球などあげた。

僕は野球経験者じゃないので詳しくはわからないが、

恋愛の世界において、

勝負の武器としてあげられるのは、

容姿、財力、タイミング、性格、話術、

などであろうか。

 

これらの武器を使って、

我々は相手に対して、「幸せになる未来、可能性」を連想させなければならない。

幸せに関して、現代社会では財力、すなわち「お金」が持つ影響はあまりにも大きい。

生活など生命活動の基盤はお金によって成り立っている。

 

例えば目の前に1円玉と1万円札があったとしよう。

1円玉を持った時に連想する1円玉が叶える選択肢と、

1万円札を持った時に連想する1万円札が叶える未来の選択肢は、

はたして同じだろうか。

 

明らかに、後者の方が、

多くの未来の選択肢、可能性を連想させるだろう。

 

貧乏人と金持ちがいたとして、

金持ちはの方がモテるのは当然だ。

何故なら、「お金」がある方が幸せへのプロセスを目に見える指標として容易に提示できるからだ。

 

 

だけど、誰もがお金持ちになれるわけでは無いし、

実際にはお金があるからといって必ずしも幸せになれるというわけでもない。

 

 

だからこそ、

人は「騙す」必要があるのではないか。

男と女は互いに騙し合って、

幸せな未来のビジョンを互いに提供し合っているのではないか。

 

その事については、以前このブログで書いた梅林止渇という記事でまとめたので良かったら読んでね。

梅林止渇① - yodomu69のブログ

梅林止渇② - yodomu69のブログ

 

つまり、「男と女は騙し騙され」というのは宗教と同じ構造なのだなと思った。

宗教は、信心深くその教えに従えば、死後に幸せになれる、天国に行けるなどと教えるものもある。

死後の世界の存在も証明されていないのに、

死後の世界にリターンとしての幸せを提示しているのは、ある意味人を騙しているとも言えるかもしれない。

たけど、辛い「今」を乗り越えるために、

明るい未来を提示することが生きることに繋がるのなら、それは善なのではないかな。

 

つまり男にとっては女は宗教で、

女にとっても男は宗教だ。

だからこそ騙し騙され、幸せな未来へ向かうことができる。

だからこそ相手に騙され裏切られた感じた時、

明るい未来は音を立てて崩れ去り、

後には絶望と空虚が残るのだろう。

 

 

騙すのなら最後まで騙しぬくのが優しさなのかもしれない。

f:id:yodomu69:20201214003341j:image