梅林止渇①

 

ども‼︎

 

今日は水曜日。

 

ここまできたら後は、

流れるように週末が訪れるだけ…

 

みたいなモチベーションすね笑

 

今回のブログは、

前回の記事と関連するのですが、

「希望」と「絶望」について書きたいと思います。

 

本当はこっちの方を先に書こうと思ってたんですけども。

 

 

皆さん、

人生楽しんでますか?

 

幸せですか?

 

人間関係がきついとか将来が不安だとか色々悩みはつきものだと思います。

 

 

この世界が辛くてキツくて絶望して、

現代では自殺する人も沢山います。

 

 

世間は命は大事だよと言います。

自殺したらダメだよと言います。

 

 

私もそれには同意見ですが、

私は人は簡単に「死にやすい」

ものだと思います。

 

ルフィも、

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と言っています。

 

戸愚呂弟も、

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こう言ってます。

 

 

前回、

人間の野生的本能はある種の「自然の摂理」で、いじめの問題もそこから来ているのではないかという話をしました。

 

そして、

人が死にやすいというのもある種の自然の摂理なのではないかということを書きたいと思います。

 

 

さて、

「人が死にやすい」ということはどういうことなのかというと、

 

もちろん人間は他の動物と比べると死ににくいと思います。

なぜなら、

人間は他の動物と違い、

人間を捕食したりして、

人間を脅かす存在がいないからです。

そのような動物は昔に駆逐されてしまいました。

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昔小学生の頃、

食物連鎖について習いました。

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これは、

つまりは弱肉強食の自然界の話です。

 

植物を食べる虫を食べる、

トカゲを食べる鳥をまた食べる獣がいて…

とその自然界のピラミッドが成り立っています。

 

 

ピラミッドといえば人間界にもこのピラミッド構造は存在します。

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福沢諭吉

「天は人の上には人を作らず」

と言っていますが、

実際には金持ちの下には貧乏がいて、

先進国の下には発展途上国があって…

というようなヒエラルキー構造があります。

 

 

この自然界と人間界の2つのピラミッドですが、

これらは切り離されて伝えられてきました。

 

 

しかし、

この2つは実は1つのピラミッドだと私は考えます。

自然界のピラミッドの頂点に、

人間界のピラミッドが位置するのです。

 

 

自然界のピラミッドでは、

ある生物が増えすぎたら、

それを捕食する生物がいて、

その数を調節しています。

 

 

しかし、

人間界には人間を捕食する生物はいません。

だから人間は増える一方です。

 

大昔、

ライオンとか虎とかの獣がいた時代は彼らと殺し合って、

互いに数のバランスを取り合ってたのかもしれません。

しかし、

それらの獣を人間の生活圏から駆逐したら人間に害を及ぼす生物はほとんどいません。

自然災害や疫病なども度々訪れ、

多くの人命を奪ってきましたが、

その度に人類は知恵を振り絞り対策して強くなっていきました。

 

こう考えると、

あれ?人間って超強えじゃん‼︎

死ににくいじゃんって思います。

 

しかし、

人が死ににくなり、増加した状況で生まれた一つの災害が「戦争」です。

 

 

人がある程度、

自然を克服した後、

地球上の限りある土地と資源を人間同士で取り合うために、

戦争が起きるのもまた「自然の摂理」のように思えます。

 

 

その自然の摂理に人の意思で逆らい、

戦争も昔に比べたら少なくなったのかと思います。

しかし、

世界では私の知らない場所で今でも絶えず紛争が起こっています。

 

歴史に学び、

戦争を完全に放棄するには、

人間の強靭な意志がなくてはなりません。

 

 

先程、

食物連鎖のピラミッドの話をしましたが、

 

現代の世界中で人口が爆発している様子を図で表すなら、

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前方後円墳型になるのではと思います。

 

 

これはピラミッドの頂点に位置している人類が増加して、

膨らんで先っぽがパンパンになっているのではという感じです。

 

 

いつか、

この円状の部分が膨張して爆発した時、

自然界の仕組みが崩壊してしまうのでしょうか。

 

 

 

もし、

食物連鎖のピラミッドが自然界のあるべき姿だというのなら、

 

その形を保つために、

 

「自然の摂理」が私達に働きかけきているのかもしれません。

 

 

いじめや戦争、

人間界の諸問題が自然の摂理なら、

私達個人が、

自らに潜む内なる自然を殺さなければなりません。

 

 

私は、

それは難しいんじゃないかな、

と思います。

 

 

内なる自然を殺すということは、

それは人間自らを殺すことなのではないでしょうか。

つまりは「自殺」です。

 

 

現代社会では、

守らなければならないルールによって、

本能を抑えなければならないということは前に話しましたが、

 

それは全体を生かすために、

1人1人を生きながらにして殺しているのではないでしょうか。

 

ん?

矛盾してる?

 

まあ、いいとして、

最初に「人は死にやすい」と言ったのは、

人が増えすぎたこの世の中では自然の摂理が、

人を死にやすくしているということが言いたいです。

 

そして、

自分を押し殺して、

全体を生かすこの現代は、

人々が簡単に「絶望」しやすい世の中です。

 

 

この「絶望」こそが、

人が死ぬスイッチみたいなものだと私は考えます。

 

 

そのスイッチは私達の脳の中にあって、

私達が生きる環境が自らの状況を判断して、

私達の頭の中の「絶望」のスイッチが押されるのではないでしょうか。

 

 

絶望のスイッチは自分の指では押せません。

絶望のスイッチを押すのは、

頭の中に流れ込んだ「情報」です。

 

 

社会的動物である私達は、

助け合う仲間との協力が生きる為に必要不可欠です。

 

 

社会的環境から窮地に追い込まれたり、

ネットの誹謗中傷で亡くなった人の話を聞くと、

彼らが取り入れた「情報」が世間からの分断を認識させ、

彼らの「絶望」のスイッチを押してしまったのではないかと思います。

 

それらの情報は決してリアルではないのです。

実際には、

生きる為の選択肢が腐るほどあったはずなのに、

見えていた情報のみが彼らの全てだったのでしょうか。

 

誰もが、私自身も彼らのように絶望のスイッチを押してしまうかもしれません。

 

 

もし絶望しかけたなら、

「希望」の情報を得ないといけません。

 

 

長くなりましたので、

「希望」については次回に書きます。

 

よろしく。

おやすみ。