久しぶりにエイリアンを見た。
ども‼︎
昨日は社会人になって初めての、
いわゆる「花金」でした。
と言ってもコロナのせいで外出できないので、
自宅におりました。
少し酒飲んだだけで、
すぐ眠ってしまいました。笑
週末は死ぬほど眠ろうと思っていたので、
今日はお昼くらいに起きました。
あーよく寝た‼︎
起きてから、何か映画でも見ようと思いました。
最近リドリースコット監督の
「グラディエーター」を見たので、
同監督の映画を見ようと選んだのが
言わずと知れたSFの名作「エイリアン」
といっても最後にちゃんとエイリアンを見たのは小学生の頃だったと思います。
その頃の記憶では、エイリアンはやたらとグロくて気持ち悪い、
だけどつい見てしまう…
ような映画でしたね。
地上波でも頻繁にやってましたし。
あと、車椅子のキャラクターが上の階にいるエイリアンに発砲して顔面にエイリアンの強酸性の血がかかるシーンは鮮明に覚えてます。笑
あれは確かエイリアン3かな?
エイリアン3は確かジェイムスキャメロン監督だったはずです。
まあ、
そんな感じで何となくエイリアンシリーズの最初の作品「エイリアン」を鑑賞しました。
先日見たグラディエーターにしろ同監督の名作ブレードランナーにしろ、
リドリースコット監督の映画は異世界の造り込みがすごく細かいと感じました。
私達がいる現実を忘れさせ、視聴者を異世界へ導いてくれる作品はどれもディテールの設定がしっかりしています。
異世界は文字通り私たちの住む世界とは異なる世界です。
その異世界を視聴者にいかにリアルに感じさせるかは、
細かな設定がリアルでなくてはなりません。
宇宙船の内部構造や、未知の惑星の未知の生物…
どれも私たちの世界の常識や知識を組み合わせて創り上げられた「創作物」です。
だからこそ、本当にあり得る、実在するかもしれないと視聴者は感じるのでしょう。
またエイリアンといえばもちろんそのエイリアンの造形そのものも絶対的人気の要因でしょう。
一度見たら忘れられない気持ち悪さと怖さがありますよね。
小学生の頃はトラウマになりました。笑
でも改めて見てみるとその造形に、
美しい…
と思ってしまいました。
このデザインを考えたギーガーさんは天才ですね。
封神演義のラスボスの女媧とかも影響されてるのかな?
内容の感想ですが、
エイリアンを見て現在のコロナ禍にある現在にリンクする作品であるとも感じました。
ホラー映画などに大事な設定として、
物語の場所はとても重要だと僕は思います。
登場人物を未知の敵と立ち向かわせるには、
容易な逃げ場のない状況を設定する必要があります。
そして登場人物が敵に立ち向かうことが、
問題の解決になるようにしないといけません。
その点で宇宙という空間は非常に物語を作りやすい場だと思います。
酸素のない宇宙空間。
宇宙服が必要な異星。
宇宙船という閉鎖空間。
謎の未確認生物。
などなど、宇宙空間は登場人物の行動を制限する要因と未知の敵という設定が容易に可能です。
エイリアンでは登場人物達は地球外生命体の探索で宇宙に出ています。
そこで星に生命反応を感知して、着陸して調査に乗り出します。
そこで発見したのが、
そう
エイリアンの卵…
そこから飛び出してきた生物が調査員の顔に張り付きます。
そこから彼を救う為に宇宙船に戻るのですが、
初め船の中に残っている乗組員は彼らを中に入れる事を躊躇します。
未知の生物を宇宙船に侵入させた場合に起こりうるリスクを恐れたためです。
結局は彼らを宇宙船に入れることになるのですが、
それが恐怖の始まりになるのです…
まあそんな感じの内容なんですが、
ここで提起された一つの問題として、
「全体を助ける為に一部の犠牲を受け入れるべきなのか」
ということです。
最悪の結果は登場人物が全滅することです。
しかし、だからといって仲間を簡単に切り捨てることはできない。
全滅が最悪の結果と分かるのに、
なぜ犠牲を簡単に受け入れることができないのか。
それはきっと「関係性」が人間という生物の核を担う大きな部分だからなのだと思います。
人間同士の関係性が種を滅亡に導く原因にもなりうるけど、
我々人類がここまで繁栄してきたのもその関係性を築き、仲間との連携を高め巨大な敵に立ち向かっていったからだと思います。
現在のコロナの広がりの現状を見ていると、
宇宙船にエイリアンが侵入した状況と似ていると感じます。
地球は宇宙船地球号などと例えられたりします。
今の状況を見ていると地球上のどこにも逃げ場はなさそうです。
だからこそ人類が協力する必要があるのかもしれません。