今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は-映画感想
はいはい、
今日から5月です。
今日は労働者の権利の日メーデーということで会社が休みになりました。やったー!
さてさて、今週はGWです。
人によっては既に大型連休に突入している方もいるでしょう。
何をするかは人それぞれですが、
ここで先週僕が見た映画を紹介したいと思います。
劇場公開中の映画を2本ほど見たのですが、
どちらも凄い衝撃作。見る価値ありまくりなので、ぜひ見てほしいです。
一つ目は、
「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」

2つ目は、
「どうすればよかったか?」
今回は、
今日の空が一番好きとは、まだ言えない僕は
の方の感想を書いていきたいと思います。
ネタバレも含むかもしれないのでご注意を。
まず、
何故この映画を見たいと思ったのかという所から書きます。
この映画の原作者はお笑いコンビジャルジャルの福徳秀介さんです。彼の小説デビュー作を実写化したのが本作になります。
吉本興業の読書好きが本を紹介するYouTubeのチャンネルで同じくお笑いコンビピースの又吉直樹さんと、福徳さんがゲストとしてトークしている動画があるのですが、その動画を見てこの映画に興味が沸きました。
その動画で福徳さんが語ってたのが「恋愛」というジャンルに対する情熱です。彼は恋愛というジャンルをこの上なく愛していて、恋愛しか書けないし、次回作以降も恋愛以外書く気はないと並々ならぬ恋愛というジャンルへの愛を語っています。笑
僕も恋愛というジャンルが大好きなので、この人の作品は期待できそうだなと思いました。いつも面白いコントを創作している彼の真面目な恋愛ストーリーってどんなんだろと気になりました。
そして、もう一つこの作品を見たいと思わせてくれた事を語ってきたので紹介します。
福徳さんは読書家でもあり普段から小説を読むそうなのですが、そこで紙の冊子にはない「電子書籍」独特の楽しみ方を語っていました。
電子書籍は電子タブレットなので読むので、紙の本独自の"厚み"を感じさせない。
その厚みにこそ愛着があるという読書家の方々も多いと思いますが、その厚みが消える事でストーリーの着地点が予測できなくなります。
電子書籍はページ数も消せるので、いつ物語が終わるのかわからない、ページをめくったら予想外のところでいきなり終わりがくる可能性というのが紙媒体にない電子書籍独自の楽しみと語っていました。
紙の読書派の僕ですが、
この話を聞いてなるほどと凄く感心しました。
僕自身、この紙媒体の小説は最後の"クライマックス"に近づくにつれて残りのページ数から最後の展開が絞られていくので、ラストの着地点の意外性が薄くなっていくという問題は感じていました。
残りのページ数は左手の感覚で測る"本の厚み"から感じとれて、読者はラストを意識せざるを得ない。
その問題を解決するのが"電子書籍"という比較的新しい読書の形というのが面白かったです。
という以上の福徳さんの話を聞いた上で、
福徳さんという人物に対する信頼と興味が湧いたので、彼の小説を原作とするこの映画は見る価値があると判断して、公開初日の仕事終わりに映画館に足を運びました。
お客さんは僕含め3人でしたので席は空いてました。
さてここから映画の感想になります。
簡単に一言言うと、もう一回見たいと言えるくらいに素晴らしかったです。
恋愛小説大好きでお笑いコントのキングでもある福徳さんが作った物語ははたしてどんなものだったのでしょう。
恋愛というジャンルについて、少し考えていきたいと思います。
異なる男女がいて、どちらか一方あるいはお互いが恋をして、どちらかが「好き」という思いを告白して、恋が成就するあるいはフラれる。
というのが一番簡単な流れというか、
人を好きになって上手くいくか上手くいかないかしかないといえます。
その流れの中で、
最も盛り上がる所は何処かというとやはり「好き」という思いを伝える告白のシーンではないでしょうか。
上手くいけば幸せなハッピーエンドですが、フラれる事でバッドエンドにもなり得るというギャンブル性が見る人を興奮させ、胸をキュンキュンさせる。
「Aさんがいました。Bさんがいました。AさんがBさんに好きと言いました。2人は付き合いました。」
という数行で終わる骨組みに時間や感情、その他の登場人物、越えなければいけない障壁などの様々な装飾を重ねて恋愛小説は物語の厚みを増していきます。
恋愛大好きな福徳先生が、
「好き」
という言葉を感情の高まりのピーク、クライマックスへ導くために、如何なる手法で物語に装飾を重ねて厚みを持たせていくのか、この映画の見所だとおもいます。
原作を読んでないのでこれから読むのですが、
この物語を見事に映像と音声に落とし込んだ大九明子監督もまた物凄い才能の方であると思います。
「好き」をクライマックスに持っていき、感動の高まりと一致させる為の"下準備"を坦々と進めていたのだなあと、映画を見終わったあとに理解します。
またこの物語、スピッツの「初恋クレイジー」という曲が重要な役割を果たしています。
どう説明していいか分からないですが、物語を修飾する"文学的"側面と映画を演出するための"音楽的"側面の2つの役割を果たしているように思えます。
あんまり語りすぎるとネタバレになるので映画を見てほしいのですが、
ラストシーンの"静寂"の使い方が最高に素晴らしいと感じました。これは"映像"と"音"の両面においてです。この"一瞬の静寂の余韻"というのは日本の伝統さへ感じました。この一瞬のためにこれまでの過程はあったのだなと感じさせる走馬灯とでもいうのでしょうか。
"古池や蛙飛び込む水の音"
的な静寂とでもいうのでしょうか。
これは僕の話になるのですが、
昔酔っ払って駅前の公園で座って休んでた時の事です。いきなり周囲がとても静かになりました。
公園にあった噴水が止まり、その噴水の流れる音が消えたのです。噴水が止まった時、初めて今まで噴水の音がずっと鳴っていたことに気づいたのです。
「この無音がいいんだよね。この無音が。」
と近くにいた別の酔っ払いのおっさんが言ってましたわ。笑
